モンターニュ・ド・ランスの100%格付けのグラン・クリュ「ブージー村」「アンボネイ村」は言わずと知れたピノ・ノワールの優良産地であり、アンドレ・クルエはその地において極上のシャンパーニュを造る生産者です。両親が所有するブージーと隣村のアンボネイに約8%の斜度がある最上の畑から収穫された葡萄のみを使用します。クルエ家の先祖はかつて、ルイ16世やナポレオンの側近として遣えており、ナポレオンから譲り受けた領地で葡萄栽培やワイン造りをスタートさせたとジャン・フランソワは語ります。代々、ピノ・ノワールから造るスティル・ワイン、ブージー・ルージュを造るメゾンでしたが、現当主ジャン・フランソワの祖父アンドレ・クルエがシャンパーニュを造りはじめました。
◎伝統を尊守しながらも独創的なシャンパーニュ造り
古くから所有する好立地の畑から産み出された葡萄はジャン・フランソワ・クルエの独創的な造りによって高品質なシャンパーニュへと生まれ変わります。ゆっくりと葡萄に圧力が掛かりエグ味の少ない優しい搾汁が得られるという理由から、圧搾機は一般的に使われている丸い圧搾機ではなく長方形の木製水平プレスを好んで使います。また、搾汁は一番搾りのテート・ド・キュヴェのみを使い2回目の搾汁、プルミエ・タイユは使用しません。そして発酵用のタンクは「一番搾り=テート・ド・キュヴェ」の2050ℓに合わせて造った特注品を使用。縦長で大容量のステンレスタンクだと、温度調節装置も外側に巻いており、上部と底部の温度差が発生し全てをカバーできずに温度にムラが出る。発酵槽の中に調節装置を据えれば一定の温度を保ちやすい、というこだわりの理由から発酵層を特注しております。この特注品でクリュ毎に醸造を行い、特注タンクでアルコール発酵をスタートさせたマストは、『発酵の初期』『発酵中期の2段階』『発酵の最終段階』の4段階に分けてバリック(使用樽)に移していき、最終的にバリック内で発酵を終了させます。発酵が終了したマストはタンクに戻し、更にバリックに移して澱引きを行います。この発酵の工程はジャン・フランソワ自身が考案した方法です。「発酵のどの段階でバリックとマストを触れさせるのが良いのか?」という事がしばしば議論されますが、ジャン・フランソワは全ての段階に良さがあると考え、4段階のメリット全てを引き出す為にこの方法を行っております。ブージー・ルージュ以外の全てのキュヴェがこの醸造方法によって造られます。その他にもフランソワのこだわりは随所に見受けられます。5分間でセラー内の空気が完全に入れ替わる装置を採用し、醸造所の床をピカピカに磨きあげる事でブショネの原因となるバクテリア汚染を予防する等品質追求の為には妥協を一切許しません。
22歳からこだわり続けたフランソワの努力は徐々に結実して、2004年にはスウェーデンの王様がクルエを大変お気に召し、王様の60歳の誕生日パーティーにもクルエのシャンパーニュが振舞われ、同パーティーにフランソワも招かれました。また、クルエの品質を早くから認めていたスウェーデンのシャンパーニュ専門家、リチャード・ジューラン氏は著書「4000シャンパーニュ」でも5つ星中の4つ星で評価し「ボランジェのようなスタイルと品質に向かっている」と高く評価しております。
◎表記は無くともグラン・クリュ
アンドレ・クルエはピノ・ノワール100%格付けの「ブージー村」「アンボネイ村」に畑を所有します。勿論エチケットにグラン・クリュ表記が可能です。しかし、アンドレ・クルエのエチケットにグラン・クリュの表記はありません。かつてアンドレ・クルエはボランジェから『エチケットのデザインが似ているから変えろ』という言いがかりを付けられました。その言いがかりに対し『少なくとも1911年からこのデザインだった』というアンドレ・クルエ側からの回答に対しボランジェ側が『だったらデザインは一切変えずにそのままにしろ』という不条理な要求を突きつけられました。若き日の当主ジャン・フランソワがこの要求にOKを出してしまった為、今でもGurand Cruの表記を入れていないという経緯があります。